相続まとめちゃんねる

遺産・相続・離婚・親権・探偵・争続まとめ

    黒歴史・黒い過去

    924 :鬼女の秘密 2013/05/16(木) 21:56:21 ID:AniGd+ei0
    今は結婚して落ち着いたけど昔は芸能人と繋がることに命かけてた気持ち悪い人だった
    きっかけは高校のとき好きだった俳優さんを出待ちしたときにこっそりアドレス渡されて繋がったこと
    当時は純粋にお手紙渡して満足してたんだけど繋がれたときすごい優越感を感じてそれからおかしくなった
    コンサートとか舞台行ってほかのファンを見下すのが楽しかった
    高校から大学の間ジャニーズとか若手俳優とか好きな人と繋がるために生きてたようなもんです
    厳しい方の某芸能高校の芸能人と仲良くなれれば芋ヅルで楽勝でしたよ
    今思うと青春の思い出がこんなんで恥ずかしい

    547 :鬼女の秘密 2017/02/14(火) 18:55:14 ID:ddA
    数年前の墓場話。

    夫に妹がいるんだけどこいつが大嫌い。お金遣いも荒いし、口も悪い。嫌がらせもされた。
    夫婦両方の病気で子どもを授かることはできなかったんだけどそれをいつもチクチク言ったり。
    ただ飛行機の距離の関係なので疎遠にしていた。でもたまに義妹の子ども、甥の話は聞いていた。
    甥は他の親族も口をそろえていうくらい大人しい、おじさん(夫)似と言われる性.格(顔は全く違う)
    なので母親があれじゃあな・・・というのもあってたまに会った時にはお小遣いとして図書券とかあげていた。
    (お金は義妹が取り上げちゃうから)

    その甥が中二の頃、電話がかかってきた。
    「おばさん、高卒で就職先がある学校ってどこだろう?」って。
    その一言で義妹が甥っ子の教育費、私たちに負担させたいって考えているのが分かった。
    頭に少し血が上ったけど甥の話を聞いた。

    まだやりたい仕事が決まらない。でも普通科も普通程度の学力だし、さして優秀でもない。
    だけど家のお金的に大学は無理かもしれない・・・とのこと。

    中学生だからそんなもんだと思う。多分夫(大卒の研究職)なら普通科に行けと言うと思う。
    でも私はそうは言わなかった。
    「それは職業高校でしょ?甥くんは手先が器用だし頭もいいから調理科かなんかいいんじゃない?
    前に料理をするのも好きだって言ってたし。」
    甥はびっくりしてたけど私は高校はいじめや家庭の事情もあって定時制高校に行ったんだよね。
    だから結構職業高校の中のことも知っていて(そういう学校に勤めていた教員も多かったから)いろいろ話してあげた。

    大学を出てから調理師をとってもいいけどやはり現場に出る時間が長い方が有利。
    店を自営するならば調理師まではいらないけれど雇われるならば大卒よりも調理師資格の方が現場ならば役に立つ。
    また調理師科のある学校とかは普通科よりも高級ホテルや航空会社の就職先があるはず、この辺りに就職したら
    大変だけど一生安定した収入になる・・・
    みたいなことを話したらだんだん甥っ子は調理科に興味を持った。
    特に航空会社で機内食を作る仕事は日本にいながら世界中の料理に触れることが出来る、と言ったのが効いたらしい。

    それで結局甥っ子は高校は調理科へ行って、高校卒業後は航空会社の機内食を作る工場へ就職。
    大変だったとは思うけど、同年代と比べたら大分お給料もいいらしいし、移動はあるけど定年までいることが出来るらしい。
    しかも様々な食材や調理法を若いうちから触れられるのはありがたい、と言っている。

    甥はそういうこともあってことあるごとに「おばさんのお陰で調理人になれた。ありがとう」と言ってくれるし、
    時々勤めている会社の美味しいお菓子を送ってくれるんだけど・・・そのたびにちょっと胸が痛い。

    義妹の学費出せ!を回避するために調理科を勧めたことは誰にも言ってない。
    甥の為、というわけじゃなく自分の懐と義妹が嫌いという感情だけで甥に調理科を勧めたんだから。
    うまくいったのは甥の努力の結果。私はむしろ害悪だったと思う。これだけ頑張れる子なら普通科に
    行っても成功したと思う。私は甥の人生を狂わせた1人だと思ってる。

    今年の四月からうちの近くの工場に甥が移動になるらしい、と連絡があったので吐き捨て。
    ???

    124 :鬼女の秘密 2014/08/03(日) 11:32:12 ID:VWDmXj5R5
    このスレを読んでいて、高校の時の先生の話を書きたくなり
    書きためていたら無駄に長文になってしまいました
    人のタヒも出てくるので、苦手な方はスルーしてください

    私は子供のころから10代まで、異常なほどそそっかしく、集中力が続かない人間だった。
    特に苦手な分野の話は、どんなに努力してもうまく理解できず
    突然頭が真っ白になってしまう。それで焦って、見当外れの事を大声で言ってしまったりする。
    そんな変な奴でも、幸いクラスでは虐められるようなことは無く
    理解してくれる教師もいて、割と平和に過ごしていた。

    高校の時、A先生という30代の女性.教師がいた。
    A先生はとても厳しくて、課題や宿題も多く、怒る時はかなりヒステリックになる先生だった。
    その教科自体は好きだったので、頑張ろうと思っていたのだけど
    先生の教え方と相性.が合わなかったのか、話が全く頭に入ってこない、
    課題もしょっちゅう忘れるか、やってきても頓珍漢なことをしてしまう。
    当然A先生にはものすごくヒステリックに怒られた。

    A先生の名誉のために書いておくが、ただ感情的に怒っていたわけではなく
    多分私の事を本当に心配して、何とかしなければと叱咤してくれたのだと思う。
    A先生は厳しいけれど、教育熱心なことでも有名だったから。
    私自身も、これではいけない、改善しようと焦ったのだけど
    焦れば焦るほど授業に集中できなくなってしまう。悪循環だった。

    私が全くの脳足りんなら、先生も諦めて放置してくれたのだろうが
    マズイことに、別の教科では良い成績を修めたりしているので
    A先生は、自分が馬鹿にされていると思ってしまったようだった。
    決してそんなことはなかったのだけれども…

    134 :鬼女の秘密 2009/03/20(金) 21:30:34 ID:A49Ib0Ke
    すみません、長くなりますが吐かせて下さい。分けて書きます。
    先日祖母が亡くなった。大往生の末老衰だったんだけど、最期は家族で看取りたいと決めて自宅介護をした。認知症があり寝たきりで、最期に近付くにつれ会話もままならなかった。

    十数年前に私が中高生の頃、家庭内不和に耐えられずに恥ずかしながらヤンチャしていた自分は、祖母の財布から頻繁に金を抜いていた。それに気付いた祖母が両親に「泥棒だ、金を抜かれている」と訴えた。
    でも今思えば両親は恐らく犯人が私であると気が付いていて、警察を呼ぶでもなく、だけど問い詰めもしなかった。

    祖母はそれから数年経って認知症になった。認知症にはよくある事かもしれないけど、しょっちゅう「金を取った奴は許さない、泥棒!」と幻覚を見ている様だった。
    私は改心して介護に励んだけれど、祖母が呆ける度に申し訳なさでやりきれなかった。

    667 :鬼女の秘密 2009/05/25(月) 17:41:15 ID:xFKQ2U610
    両親離婚後の私の実質の保護者で私に罵倒以外の何もしなかった元祖モンペの父方祖母
    激痛が伴うと言われる膵臓ガンに罹った
    しかもタヒ因は便秘の為に浣腸したら出血が止まらなくなってケツを出したまま失血タヒ

    頑固者という名の社会不適合者。大きくなって可愛げのなくなった孫達を無視し続けてきた父方祖父
    肺炎で入院直後に唯一の介護要員だった叔母が百日咳でダウンして誰にも介護されずに孤独タヒ

    離婚後に私を引き取り、永久歯の歯並びが悪くなった私を完全放置
    自分勝手にお菓子を与えるだけ与えて10kg太らせ(これは当時小学生だった自分も悪かったと思う)
    壮絶なイジメに遭う原因を作りあげくはギャンブルだけで合計5000万以上もの借金を作り自己破産。
    返済のための金は自分で一切工面せず、その時世話してくれた叔父夫妻の怒りは全部私へとぶつけられた
    そんな実父は糖尿病が悪化して自宅で孤独タヒ
    葬式では「タヒんで喜ばれる人もいるんだね」と小声でつぶやく人多数

    646 :鬼女の秘密 2017/04/15(土) 09:24:06 ID:LvZ
    50代より下の人にはわからないかもしれないけど、
    昔愛人バンクに登録していた。
    主人はそのころ契約した人の部下。
    主人は知らないけど、世間を騒がせたときには任意で事情聴取も受
    正直登録して契約したけど、契約はそこを通さずだったので
    彼の方は事情聴取もなかったみたいだった。
    学校を卒業して仕事に就くまでは続いていたが、彼からそろそろ適齢期だから
    自分たちの関係を解消していい男と結婚でもしたらと言われ、
    それもそうだと思って解消することにしたら、
    彼から主人を紹介された。
    ぶっちゃけばれてもこの年だし怖くないというか、別れても十分生きていけるくらいのものはあるし
    かまわないけど、尊敬している上司にお古を押し付けられたと知ると主人が傷つくのはかわいそうなので、
    墓まで持っていこうかなと思っている。
    主人を愛していないわけじゃないのよ~。
    でもほんとにたまにそのころ聞いていた音楽なんかが聞こえてくると思いだして
    ぞわぞわするのですよ。

    456 :鬼女の秘密 2012/11/19(月) 00:27:30 O
    小学5年か6年の時。
    当時私は友達づきあいが下手で友達が少なかったが、本が友達だった私は特に気にしてなかった。

    ある参観日、家庭科で好きな人同士でチームを作り、粉ふきいもを作るという授業内容だった。
    数少ない友達は他のチームにとられ、うまく他の人に声をかけられなかった私はひとりぼっちに。

    そのまま授業がすすみ、私はひとりで芋を切り、粉ふきいもを作った。
    他の人たちはチームでわいわいやってるのに、ひとりで黙々とやる自分。

    しかもよりによって参観日。
    思いっきり見られてヒソヒソされてるっぽいるし、すごい恥ずかしさと情けなさで最後の方はもう涙目だった。
    涙目なのを見ている保護者たちに悟られないようにしようとしている自分がマジで修羅場だった。
    それをみていた自分の親も修羅場だったと思う。
    親の話では、その後担任が謝ってきたらしい。

    今日、子供の学芸会で友達は大切だ系の劇をやってたから、鮮明に思い出してしまった。
    これを書きながら涙目な自分がいるわ。

    56 :鬼女の秘密 2016/08/10(水) 10:58:39 ID:Slg
    初めてカキコ。
    不慣れなのお許し下さい。

    自営業を初めて3年目。
    当時6年付き合って結婚する気だった彼氏に振られた。
    自営業のお客さんが詐欺師で仲間と見られて家宅捜査される。その繋がりで、被害者(会ったことも見たこともない人)から民事で訴えられる。
    など、私の精神面では耐えられないことが続き、壊れる(そんなつもりはなかったんだけど、今考えると壊れてた)

    いかんせん日銭もないので、風イ谷で働き出す。しかし待機時間が多く、持って帰れるお金は1日1万円。これならキャバの方がいいなと思い、キャバでレギュラー出勤。ますます壊れだす。
    寂しくなりホストにはまる。

    気がつけば、クレジットカード200万、消費者金融150万の借金持ち。
    そこで、キャバのお客さんとして今の旦那に出会う。
    いい話なら、旦那に救ってもらったとかなるんだけど、私は必タヒに現状を隠した。旦那のすすめでキャバはやめた。

    家宅捜査の件で呼び出された。違う県だったので、自営業の出張ということにした。取り調べ室で何故か怒られながら尋問されてるとき、あぁ、このまま逮捕かなぁ。と親と旦那の顔が浮かんだ。
    2日間朝から晩まで調書とり、普通に家に帰れた。そのあと度々検察に呼ばれ調書を取ったが、何も起こらなかった。実行犯と思わしき自営業のお客さんは逮捕、起訴されてた。

    訴えられた民事の方も一年以上かかった。
    そこで妊娠が発覚した。トータルで2000万以上訴えられたが、相手の弁護士が私は関係ないと気がついたのか、和解で月1万円支払いの計15万円を申し込んできた。
    ここで、私は和解を受け入れた。旦那と結婚できる、と安心した覚えがある。


    それから、2年経ち。
    先月末で借金すべて完済した。
    妊娠出産子育てしながらコツコツと自営業でお金を稼ぎ、生活費や旦那のお金、子供の貯金、夫婦の貯金をしつつ完済。
    旦那は気がつきもしなかった。
    本当に誰にも言えない。

    あの頃、何かに取り憑かれてたとしか思えない。

    322 :相続まとめちゃんねる 2014/11/16(日) 08:26:20 ID:p1CDSwo06
    真剣にいじめ悩んでる・悩まされた人にはちょっと申し訳ない話だけど。

    私は中学時代の記憶があんまり無い。
    といっても授業の内容は普通に頭に入ってるし、
    家庭で起こった事(兄に彼女ができたとか母が鍋を焦がしたとか)は記憶にある。
    ただ授業以外の学生生活、何してたっけ? と思うと何も思い出せない。
    以前から「なんか良く覚えてないなあ」と思ってたけど、
    「多分ぼっちで黒歴史でも紡いでたんだろうな」程度に考えていた。

    先月、中学の同窓会の案内が届いた。
    幹事の名前(男)はよくよく考えてみれば見覚えがあるような気がしないでもない……程度。
    同級生の顔や名前もほとんど記憶にないのでさくっと「欠席」に〇をつけたが
    その晩から変な夢を見るようになった。
    ・下駄箱に「悪霊退散」と書かれたお札が入っている夢
    ・机の上に粘土で作ったンコが鎮座している夢
    ・何処からともなく濡れた雑巾が飛んでくる夢
    ・黒い人影が何かヒソヒソヒソヒソ話
    しているのに内容が聞こえない夢
    ・狭い所に閉じ込められる夢
    などなど。
    最初は特に気にしなかったが、何回もそんな夢を見るので
    母と雑談している時にその夢の事を話してみた。
    母は少し驚いた様子で、「その夢、辛かった?」と私に訊いた。
    私が「別に。唸される訳でもないし、ただの変な夢」と答えると
    しばし悩んだようだったが、「あんた、中学の時にいじめられてたんよ」と
    ぽつぽつ話してくれた。

    323 :相続まとめちゃんねる 2014/11/16(日) 08:27:24 ID:p1CDSwo06


    曰く、悪霊退散のお札や机にンコ等は本当にあったらしい。
    ただ私が「今日ww こんな事あったwww ガキがいる同級生にガキがいるwww」みたいな感じだったので
    私自身に深く追求する事はなかった、と。
    大雨の日、傘をさして登校したのにずぶ濡れで帰ってきたり
    通学距離は長くないのに靴がすぐボロボロになったりもしたそうだ。
    流石に学校に抗議したが冷たくあしらわれたり
    逆に担任に呼び出されて「お宅の娘さんの様子がおかしいが家庭に異常があるのでは」と詰られたりもしたと言う。
    いじめの主犯格と思われるのは同窓会の幹事の名前だったそうだ。

    全然知らなかった。
    うちは母子家庭で全く裕福でないのだけど、私が県外の私立高校へ行くのに一度も反対されなかった理由が分かった気がした。
    「お母さんがいろいろしてくれたのに、覚えてなくてゴメン」と私が謝ると
    母は「それで良かったんよ」と頭を撫でてくれた。涙が出た。

    どうして母が主犯格の名前を知っていたのかというと、卒業式の日、そいつは私に告白したらしい。
    私はまるっと無視して、帰宅してから「なんか不憫な奴だと思った」と言ったそうで、
    母もそれで少しは溜飲を下げたとの事。

    いじめられていたらしい事は一向に自分の身にあった事としては実感できないままなのだけど、
    私が中3の頃、母が円形脱毛症になったのを思い出した。
    息子と娘が二人とも受験生になると何かと心配なんよ、案外気が弱いんやね、と当時の母は笑っていたが
    私のせいで物凄い気苦労をかけたんだろうと思うと本当に申し訳ない。

    その頃の母の心中は相当な修羅場だったろうなってのと
    こんなに綺麗に記憶って抜けるんだ……と自分の能天気っぷりにびっくりしたのが私のプチ修羅場って事で。
    324 :相続まとめちゃんねる 2014/11/16(日) 11:58:04 ID:T1f20qiUS
    >自分の能天気っぷりにびっくりした

    辛くても記憶が抜けたりするしな
    なんとも言えんけど、忘れてるんならなんかあったんかも知れない
    いいお母さんだね
    325 :相続まとめちゃんねる 2014/11/16(日) 12:06:07 ID:o4A5lPzm7
    能天気なんじゃなくて自己防衛だよ
    もう、大丈夫みたいだから脳が記憶を引っ張り出したんだね
    お母さんの苦労やあなた自身も大変だったと思う
    また、忘れて日常に戻ると良いよ
    328 :相続まとめちゃんねる 2014/11/16(日) 17:31:25 ID:x6Qp4UAa1
    >>325
    ほんとそう思う
    あと、もう大丈夫だろうという判断に加えて
    そいつにゃ近づくな、と危険信号もあったかも
    引用元:https://www.logsoku.com/r/open2ch.net/kankon/1414581058/

    261 :相続まとめちゃんねる 2016/07/05(火) 13:12:12 ID:kOJ
    ただの愚痴です。無駄に長いのは許してほしい。
    私が子供の頃、父は早朝から仕事に行っていた。母は専業主婦。
    専業主婦と言ってもご飯はほぼ全部お惣菜や冷凍食品(メシマズだから)。
    朝ご飯はだいたい冷凍炒飯か冷凍ピラフ、それを食べると即外出。
    そして母に連れられパチ〇コに行っていた。
    母が行くのは比較的人の入りが少ないパチ〇コ店。
    母の座った台の隣が空いてたらそこに私も座る。
    空いていない時は母の後ろに立つ。
    たまに私を邪魔くさそうに押しのけたり蹴ったりする人がいて怖かった。
    当時は酷い人だと思ってたけどこんな所に子供がいる方が非常識だと今は思う。

    パチ〇コは日が暮れるまで続く。
    お昼ご飯はもちろん無い。
    喉が渇いたと母に訴えると百円貰える。
    小さい缶ジュースなら買えるのでそれで凌いだ。当然昼ご飯は無しだ。
    ごく稀に母が途中で席を外し板チョコを持ってきてくれた。
    景品の一つらしい。
    店に慣れてからは自分で板チョコに交換しに行っていた。

    勝った日は帰りにデパートに寄って母は高い買い物をした。
    自分だけの物だ。化粧品とか香水とか。
    私や父の物は一切無い。
    それでも母が嬉しそうだから私も嬉しかった。
    負けた時の母はとてつもなく怖いから、ニコニコしてる母を見て安心した。

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