相続まとめちゃんねる

遺産・相続・離婚・親権・探偵・争続まとめ

    叔父

    640 :鬼女の秘密 2019/08/20(火) 09:30:25 ID:eZD9Y8RP.net
    友人数人との飲んでる時に、メンバーの1人の叔父さんがたまたま同じ店にいて、その叔父さんが帰り際に「甥っ子、これ少ないけどみんなで」と一万円を置いて行ってくれ、みんなでお礼を言って有り難く頂いた。

    そのお店は料理代が1人3000円で、アルコール飲み放題を付けた人は+1800円、ソフトドリンク飲み放題を付けた人は+800円の設定で、メンバー8人中5人がアルコール飲み放題で3人がソフトドリンク飲み放題だった。

    私もアルコール飲み放題だったんだけど、もう1人のアルコール飲み放題のA君が「じゃあ、貰った一万円はアルコール飲み放題の人に1000円ずつで、残りの5000円をみんなで食べた食事代を割り勘しよう」と言い出した。
    「え?なんで?」と聞くと「だってアルコール飲み放題はソフトドリンク飲み放題の人より1000円支払いが多いからそれで平等じゃん?」と。

    結局、お金をくれた叔父さんの甥っ子が平等に料理代だけに一万円を充てて飲み放題は正規負担で、と言ったから事なきを終えたが、A君はずっと「おかしいよね?」とか「ソフトドリンクの人が得じゃない?」と小声で聞いていた。
    「あなたの計算だとアルコールの人が1600円負担してもらえて、ソフトドリンクの人は600円しか負担してもらえないんだよ?ってか甥っ子くんが貰ったんだから甥っ子くんが決めた支払い方法でいいじゃん」と言っても
    「いや、あれはみんなでと言って貰ったから、もっと話し合って決めるべきだった」とか「甥っ子はリーダー性.がないから、こういうときバシっと言えないからなぁ」と言ってた。

    なんかもう、そいつの事が気持ち悪くなって友達やめた。

    969 :鬼女の秘密 2017/04/13(木) 01:04:23 0.net
    下話。注意。



    10歳から18歳までそういうことをヤりまくってた。
    小学生の時は両手以上もらうことが多かった。複数でして、1日に30近く手にいれたこともあった。
    貫通しなくてもかなりくれる人も多かった。
    主導は叔父だけど、割り当ては早い段階で私が8割もらえるように交渉した。
    中学生になるとさすがに片手くらいになった。自分主導になった。
    高校になると2とか3にまで落ちた。
    それでもしまくってた。
    当時は今みたいに法も厳しくなかったから、釣り放題だった。
    家が貧乏なの(実際貧乏だった)だとか、進学費用を貯めてる(進学校だった)で、別途高額もらったこともかなりある。
    ヤリ逃げもあったけど、車のナンバーから知人に自宅特定してもらってピンポン凸したりした。
    個人情報も結構緩かった。
    ヤバい仕事から固い仕事までものすごくたくさんの知り合いができて、それは今でも人脈としてある。
    高校卒業するときに私の通帳には4,000万以上の金額が入っていた。

    きっかけは叔父からの虐待だったと思う。二世帯同居してて、父とは歳が離れていた叔父は祖母とすんでいた。その叔父に始めてされたのは9歳だった。小学生になったころには叔父のを触らされていた記憶がある。
    それでも、私自身の気質的な問題が大きいとは正直思う。
    嫌悪感もなく、お金を貯めることに尽力した。

    高校の先輩と結婚したんだけど、進学校→旧帝→上場企業と順風満帆な旦那にはタヒんでもいえない。
    旦那を選んだ理由が転勤族だから(地元にいなくていいから当時の人とそこまで密に会わなくていい)というのも言えない。

    126 :鬼女の秘密 2012/07/01(日) 19:43:18 ID:su/lBwW7

    あんまり大したこともないんだけど、あとで修羅場だったとわかった修羅場。

    もう二十年以上前の、私が小学校低学年だった頃の話。
    父には年の離れた弟がいて、私も弟もおじさんの事がお兄さんみたいな感じで大好きだった。

    ある晩、夜中にトイレに起きたら、なぜか茶の間におじさんと寝間着姿の両親がいて、
    低い声でなにか話し合っていた。おじさんは無精髭が伸びていて、すごく怖い顔をしていた。
    大人の話を邪魔すると怒られるので、私は「いらっしゃい」と挨拶だけして部屋に戻った。
    だけど両親たちの話が気になったので、襖を少しだけ開けて、こっそり聞いていた。
    おじさんが低い声でなにか叫んだ。
    父の声。「おい、そげなもん、しまえ!」
    続いて母の声。「○○(おじさんの名前)さん、そんなことしたらいけんよ!いけんよ!」
    その後も低い声で言い争いは続いた。
    声の調子から只事じゃないのはわかったが、子供なんでいつの間にか眠ってしまった。
    でも翌朝、父も母も何も言わなかったから「もしかして夢だったかも?」ぐらいに思っていた。

    おじさんは近所に住んでいて、よくうちに晩御飯を食べに来ていたけど、その晩からは
    なぜかうちに顔を出すことはなくなった。

    おじさんがどういう状況なのかわかったのは、それから1ヶ月ぐらいしてから。
    当時のテレビで、警察の指名手配犯の写真と名前を流す5分ぐらいの番組をやっていて、
    ある土曜日に母と私と弟でお昼を食べていたら、テレビの画面ににっこり笑ってる
    おじさんの顔と、名前がドーンと…。

    おじさんは893みたいな悪い仲間と銀行強盗をやらかして、指名手配されていた。
    その事件は地元の新聞にも結構大きく報道されていて、私も読んだ覚えがあった。

    613 :鬼女の秘密 2015/04/09(木) 14:32:52 ID:7bn
    誘導されてきた。
    いじめっ子を杀殳して、この間出所してきた

    122 :鬼女の秘密 2013/12/11(水) 18:28:10 ID:lNkwsDgS
    ブランドバックの値段を知ったとき。

    祖母には娘がいなかったので、遅く生まれた三兄弟末っ子長女の私は、私が自覚できるくらい溺愛されてた。
    その次に、東大→一流メーカーの花形部署勤務→アメリカに単身赴任という、分かりやすいエリート街道歩いてた叔父も可愛がられてた。
    兄たちと差をつける程、私を甘やかしてたので、私の両親(祖母にとって長男夫婦)とは仲が悪かった。

    少々マザコン気味の叔父は、在米中、誕生日とか関係なく、いいのを見つけたからとか言って、よく祖母にカバンをプレゼントしていた。
    服とかアクセサリーとか関係なく、何故か毎回カバン。それも、男性.が選ぶせいなのか、大抵祖母の好みに合わない。
    祖母は海外ブランドにはまったく興味が無かったし、「売る」=金に困ってする行為、という感覚だった時代の話。
    普通はここで、嫁や娘にカバンが流れてくるんだろうが、娘はいない、嫁とは仲が悪い、ということで、孫の私によこしてきた。
    (母にどうか、と声をかけたのかもしれないが、だとしたら母は断った)
    田舎の小学生なので、服に合わせてカバンを変えることもせず、そもそも、大人向けのカバンは好みに合わない。
    家庭科で作ったナップサックと同等の扱いで、汚れがひどくなったり、使わなくなったら処分されていった。

    時は過ぎ、就職をして上京。
    初めてのボーナスで、自分へのご褒美(笑)を買いに百貨店へ訪れて、祖母からもらったカバンの価値を知ったときは衝撃的だった。

    プラダのリュックにぬいぐるみを詰めて山を駆け、プリマクラッセのバックに絵の具を詰め込んでた小学生時代…。
    変な人が寄り付いたりしなくてよかったなぁ、と、一人でゾッとした。

    640 :鬼女の秘密 2019/08/20(火) 09:30:25 ID:eZD9Y8RP.net
    友人数人との飲んでる時に、メンバーの1人の叔父さんがたまたま同じ店にいて、その叔父さんが帰り際に「甥っ子、これ少ないけどみんなで」と一万円を置いて行ってくれ、みんなでお礼を言って有り難く頂いた。

    そのお店は料理代が1人3000円で、アルコール飲み放題を付けた人は+1800円、ソフトドリンク飲み放題を付けた人は+800円の設定で、メンバー8人中5人がアルコール飲み放題で3人がソフトドリンク飲み放題だった。

    私もアルコール飲み放題だったんだけど、もう1人のアルコール飲み放題のA君が「じゃあ、貰った一万円はアルコール飲み放題の人に1000円ずつで、残りの5000円をみんなで食べた食事代を割り勘しよう」と言い出した。
    「え?なんで?」と聞くと「だってアルコール飲み放題はソフトドリンク飲み放題の人より1000円支払いが多いからそれで平等じゃん?」と。

    結局、お金をくれた叔父さんの甥っ子が平等に料理代だけに一万円を充てて飲み放題は正規負担で、と言ったから事なきを終えたが、A君はずっと「おかしいよね?」とか「ソフトドリンクの人が得じゃない?」と小声で聞いていた。
    「あなたの計算だとアルコールの人が1600円負担してもらえて、ソフトドリンクの人は600円しか負担してもらえないんだよ?ってか甥っ子くんが貰ったんだから甥っ子くんが決めた支払い方法でいいじゃん」と言っても
    「いや、あれはみんなでと言って貰ったから、もっと話し合って決めるべきだった」とか「甥っ子はリーダー性.がないから、こういうときバシっと言えないからなぁ」と言ってた。

    なんかもう、そいつの事が気持ち悪くなって友達やめた。

    126 :鬼女の秘密 2012/07/01(日) 19:43:18 ID:su/lBwW7

    あんまり大したこともないんだけど、あとで修羅場だったとわかった修羅場。

    もう二十年以上前の、私が小学校低学年だった頃の話。
    父には年の離れた弟がいて、私も弟もおじさんの事がお兄さんみたいな感じで大好きだった。

    ある晩、夜中にトイレに起きたら、なぜか茶の間におじさんと寝間着姿の両親がいて、
    低い声でなにか話し合っていた。おじさんは無精髭が伸びていて、すごく怖い顔をしていた。
    大人の話を邪魔すると怒られるので、私は「いらっしゃい」と挨拶だけして部屋に戻った。
    だけど両親たちの話が気になったので、襖を少しだけ開けて、こっそり聞いていた。
    おじさんが低い声でなにか叫んだ。
    父の声。「おい、そげなもん、しまえ!」
    続いて母の声。「○○(おじさんの名前)さん、そんなことしたらいけんよ!いけんよ!」
    その後も低い声で言い争いは続いた。
    声の調子から只事じゃないのはわかったが、子供なんでいつの間にか眠ってしまった。
    でも翌朝、父も母も何も言わなかったから「もしかして夢だったかも?」ぐらいに思っていた。

    おじさんは近所に住んでいて、よくうちに晩御飯を食べに来ていたけど、その晩からは
    なぜかうちに顔を出すことはなくなった。

    おじさんがどういう状況なのかわかったのは、それから1ヶ月ぐらいしてから。
    当時のテレビで、警察の指名手配犯の写真と名前を流す5分ぐらいの番組をやっていて、
    ある土曜日に母と私と弟でお昼を食べていたら、テレビの画面ににっこり笑ってる
    おじさんの顔と、名前がドーンと…。

    おじさんは893みたいな悪い仲間と銀行強盗をやらかして、指名手配されていた。
    その事件は地元の新聞にも結構大きく報道されていて、私も読んだ覚えがあった。

    969 :鬼女の秘密 2017/04/13(木) 01:04:23 0.net
    下話。注意。



    10歳から18歳までそういうことをヤりまくってた。
    小学生の時は両手以上もらうことが多かった。複数でして、1日に30近く手にいれたこともあった。
    貫通しなくてもかなりくれる人も多かった。
    主導は叔父だけど、割り当ては早い段階で私が8割もらえるように交渉した。
    中学生になるとさすがに片手くらいになった。自分主導になった。
    高校になると2とか3にまで落ちた。
    それでもしまくってた。
    当時は今みたいに法も厳しくなかったから、釣り放題だった。
    家が貧乏なの(実際貧乏だった)だとか、進学費用を貯めてる(進学校だった)で、別途高額もらったこともかなりある。
    ヤリ逃げもあったけど、車のナンバーから知人に自宅特定してもらってピンポン凸したりした。
    個人情報も結構緩かった。
    ヤバい仕事から固い仕事までものすごくたくさんの知り合いができて、それは今でも人脈としてある。
    高校卒業するときに私の通帳には4,000万以上の金額が入っていた。

    きっかけは叔父からの虐待だったと思う。二世帯同居してて、父とは歳が離れていた叔父は祖母とすんでいた。その叔父に始めてされたのは9歳だった。小学生になったころには叔父のを触らされていた記憶がある。
    それでも、私自身の気質的な問題が大きいとは正直思う。
    嫌悪感もなく、お金を貯めることに尽力した。

    高校の先輩と結婚したんだけど、進学校→旧帝→上場企業と順風満帆な旦那にはタヒんでもいえない。
    旦那を選んだ理由が転勤族だから(地元にいなくていいから当時の人とそこまで密に会わなくていい)というのも言えない。

    613 :鬼女の秘密 2015/04/09(木) 14:32:52 ID:7bn
    誘導されてきた。
    いじめっ子を杀殳して、この間出所してきた

    122 :鬼女の秘密 2013/12/11(水) 18:28:10 ID:lNkwsDgS
    ブランドバックの値段を知ったとき。

    祖母には娘がいなかったので、遅く生まれた三兄弟末っ子長女の私は、私が自覚できるくらい溺愛されてた。
    その次に、東大→一流メーカーの花形部署勤務→アメリカに単身赴任という、分かりやすいエリート街道歩いてた叔父も可愛がられてた。
    兄たちと差をつける程、私を甘やかしてたので、私の両親(祖母にとって長男夫婦)とは仲が悪かった。

    少々マザコン気味の叔父は、在米中、誕生日とか関係なく、いいのを見つけたからとか言って、よく祖母にカバンをプレゼントしていた。
    服とかアクセサリーとか関係なく、何故か毎回カバン。それも、男性.が選ぶせいなのか、大抵祖母の好みに合わない。
    祖母は海外ブランドにはまったく興味が無かったし、「売る」=金に困ってする行為、という感覚だった時代の話。
    普通はここで、嫁や娘にカバンが流れてくるんだろうが、娘はいない、嫁とは仲が悪い、ということで、孫の私によこしてきた。
    (母にどうか、と声をかけたのかもしれないが、だとしたら母は断った)
    田舎の小学生なので、服に合わせてカバンを変えることもせず、そもそも、大人向けのカバンは好みに合わない。
    家庭科で作ったナップサックと同等の扱いで、汚れがひどくなったり、使わなくなったら処分されていった。

    時は過ぎ、就職をして上京。
    初めてのボーナスで、自分へのご褒美(笑)を買いに百貨店へ訪れて、祖母からもらったカバンの価値を知ったときは衝撃的だった。

    プラダのリュックにぬいぐるみを詰めて山を駆け、プリマクラッセのバックに絵の具を詰め込んでた小学生時代…。
    変な人が寄り付いたりしなくてよかったなぁ、と、一人でゾッとした。

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